銚子の阿部晴明・伝説

940年
筑波山の麓で、神童「安倍晴明」が生まれる。
父は、陰陽学の名家・加茂保憲の高弟であった阿倍保名。
母は、「葛の葉の狐」と噂された信太姫。
(銚子に信太さんが多い、筑波、霞ヶ浦に端を発するという信太氏と関係?)

960年
垣根の長者、海上郡随一の金満家であった根本右兵衛義貞の一人娘として
「延命姫」が、生まれる。

平安中期。平将門の乱討伐のために
筑波に足を運んでいた右大臣藤原師輔に見いだされた安倍晴明は、
時の天皇に寵愛され才能を発揮。
しかし、花山天皇を取り巻く政争にまきこまれ、
藤原氏によって花山帝が退位させられ一条帝が擁立され、
阿倍晴明は、身の危険を感じて都を脱出
故郷の筑波山麓にもどっていた。

986年
筑波に戻っていた阿倍晴明が銚子に逃れてきたところを
垣根の長者の延命姫と出会い、姫が一目惚れしてしまったところから悲劇が始まる。

−−−晴明の話しの信憑性は、非常に高い。
     晴明が銚子にきた際、宿泊したとされる家も分かっている。
     時の政権から逃れて銚子に身を寄せていたが、
     初めは、下総国小南村(香取郡東庄町小南)の笹本太夫三、
     次に笹本の紹介で海上郡三宅郷垣根村(銚子市垣根)の
     長者・根本右兵衛義貞に
かくまわれていた
−−−

延命姫は、生まれながらにして顔の左ほほ全面にアザがあった。
父の義貞は、裕福な資産家であり、娘のために安倍晴明に財産提供と娘との結婚を願い出る。

安倍晴明は、延命姫との婚姻を約束するも、やはり後悔し、延命姫のもとから逃げ出す
晴明は、垣根−松岸−長塚−本城と通り抜け、
今宮から対岸の波崎にわたろうとするも時化のためにわたれず。
荒野・新生...立寄ったとされる清明神社が残る...
   ...飯沼観音と逃げて、和田不動尊に晴明は、駆け込んだ。
しかし姫は、晴明を諦めきれずに必死に追いかける。

そうして晴明は、利根川を東に逃げ、ついに、屏風ヶ浦の小浜の地まで逃げたところで、
晴明は一計を案じる。
屏風ヶ浦の「通漣坊」に着物と履き物を脱ぎ捨てて、その身を新田の真福寺に隠した。

−−−晴明が、おってくる延命姫の姿を見ていたと言う、姿の坂
     延命姫が疲れて休んだと言う腰掛岩帯びどけ台帯の台ゆっくら坂など、
     延命姫のゆかりの地名が、小浜から屏風ヶ浦の通連洞にかけて残る−−−

追ってきた延命姫は、通漣坊にぬぎすてられた着物と履き物をみて、
晴明が身を投げたものと思いこみ、自らもそのあとを追って身を投げてしまった。

延命姫の遺体は、全身を粉々に打ち砕かれて、身は魚の餌食となってしまった。
海流にのって、髪の毛は銚子川口の岩にからみつき、歯と櫛が川口の地に打ち上げられた。
−−−髪からみの島が、川口の千人塚の付近(港湾整備事業で運河が出来る前まで、
                          銚子付近で遭難するとこの辺へ流されてくる)−−−
残った歯と櫛を丘に埋めて祀られ出来たのが歯櫛神社である−明治になって改名:川口神社

姫の死後、海は大荒れで困り果てた村人たちが
姫の死の直前の模様を伝え聞いて恐怖におののいたという。
そうして屏風ヶ浦から投身した姫の遺体が、川口―現在の千人塚付近で歯と櫛が顕れた時に、
姫の霊をなぐさめて、その丘に、豊漁を祈願する祠をもうけた。
以後、漁師たちが歯櫛明神とよんでいた社は、人々の信仰をあつめてきた。

いつしか櫛や鏡を納めて祈願すれば美しくなり、
姫にアザがあったことを取り除こうとする信心からか
当社の「白粉」をつけるとアザがきえると信仰されてきた。

歯櫛明神とよばれていた神社も、いつしか白紙明神と名が変わり、
明治3年に川口神社と改名されて現在にいたる。

銚子には、晴明橋、晴明井戸など、いろいろな所に安部晴明ゆかりの名前が残る。

以下は、銚子と阿倍晴明伝説なじみの地。


長者山仁王尊阿弥陀院根本寺
垣根の長者・根本義貞が娘の死を悼んで草庵をあんだことにはじまる寺。
延命姫供養塔あり。

清明稲荷
安倍晴明が逃走の際にたちよった場所にちなむ(
創建は、徳川家治のころ)。

晴明稲荷は、徳川家治のころに創建。明和元年(1764)9月に飯沼村森田家により建立され、太平洋戦争中まで森田家によって守護されてきたという。

参拝すると必ず大漁となるという逸話を持つ清明稲荷は地元漁業従事者の信仰を集めた。


和田山不動尊
阿倍晴明が逃げ込んだ場所

常世田薬師
延命姫が晴明を追いかけている途中で三日三晩の行をしたとされる薬師堂。

屏風ヶ浦「通漣坊」
小浜・磯見川の河口。晴明が投身自殺を装い、それをみた延命姫が身を投げたところ。
現在は浸食して「通漣坊」岩の洞は、消滅。



新田の明王山真福寺
晴明が逃げ込んだ寺。
延命姫の死後に罪滅ぼしのために晴明が籠もり荒行をした堂が「晴明堂」

新田の明王山真福寺
晴明堂の解説

新田の明王山真福寺
今は、お寺は無く、児童公園になり、滑り台の奥に晴明堂が見える。

川口の千人塚
この付近は、利根川の河口で岩場になっていた。昔から銚子付近で遭難するとこの辺の川口に打ち上げられた。現在は、港湾整備事業により運河になっているが、一の島灯台が残るだけで、髪からみの島は、無い。

川口神社
千人塚の高台にある神社だ。昔は、水位が3メートル位高かったから、川口神社の入口が水辺にあった事がうかがえる。



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