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−−− 銚子のぽたぽた散策 −−− ヒゲタ醤油の始祖田中玄蕃

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玄蕃山・竜の井(げんばやま・たつのい)...
 
 前宿町の玄蕃山北側にある「竜の井」は慶応4年(1865年)当時「紫大尽」と呼ばれていた第10代田中玄蕃が、醤油醸造に使う水のために掘ったトンネルの跡があり、竜神様を祀っていた場所。水屋はレンガで囲われており、現在まで保存されている。 かつて銚子では「様の付くのは観音様と玄蕃様」といわれた。私より上の年寄りは、今でもそのように言う。銚子に醤油が伝わったのは飯沼村の豪農でヒゲタ醤油の始祖田中玄蕃が1616年(元和2年)摂津西宮(せっつにしのみや)の真宜九郎右衛門(さなぎくろううえもん)から醤油の製造法を伝授されたのが始まりとされる。 また、第13代田中玄蕃は、1897年(明治30年)総武鉄道を銚子まで開通させた人物として知られる。田中家には銚子市指定有形文化財である『玄蕃日記』(げんばにっき)が残されている。田中玄蕃(第三代目)は、当時の名は石橋源右衛門で元和2年(1616年)に摂津西ノ宮(現在の兵庫県西宮市)の酒造家からしょうゆの醸造法を学び銚子で初めて「たまりしょうゆ」醸造を始め、売り出したといわれ、田中家は、大地主で主業は漁業でした。養殖の池の跡が黒生海岸にある。漁業の余暇労力を利用して自家製として傭人の自給のためにつくった程度といわれています。第四代目の時に地元の役人と同名であったことから改名を命じられ以後代々田中玄蕃を名乗るようになりました。連絡先:ヒゲタ醤油株式会社 0479-22-0080
 
ヒゲタ醤油

始祖

田中玄蕃
         
田中玄蕃 イメージ 玄蕃山・竜の井...誰も訪れる人がいなくなってしまった!竜神様を祀っていた水屋は、屋根が崩れ落ち、見る影も無い!湧き水は今でも溢れ出ているいるのだが、...かつては、きちんと田んぼへと流れ落ちていたが、それもどこか壊れてそこらじゅうがじめじめしている。 水のためにほったトンネルがこのレンガの入口、小学生の頃、・・・40年以上前になるが、・・・このトンネルや防空壕を探検した、玄蕃山を抜け反対側の飯沼小学校の土手に出られる、しかし、もう通れないだろう!
         
玄蕃山のこの辺一体は、鬱蒼とした森で、中に入ると夏でもひんやりとしていたが、現在、近くまで住宅が押し寄せてきているせいか、手入れが何もされていない!荒れ放題である!貴重な森としてきちんと保全をしてほしい!!  銚子電鉄の線路上が鬼ヤンマの通り道で格好のトンボ取りの場所、開けたこの辺で鬼ヤンマを捕まえる、きれいな水場でもあったし子供たちの探検の場でもあった、近くの防空壕を探検、我々が探検した後、よその学校の連中が探検し防空壕から出てこれなくなって事件になってから飯沼小学校以外にも探検禁止命令が出された。貴重な湧き水、自然を守ってほしい!銚子の繁栄を支えた田中玄蕃の資料としてもこの辺一体は、銚子の歴史的財産である。

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